図書館でタイトルをなぞりながら読みたい本をゆっくり探すひととき。何気に選んだ本から人生の指針を見つけることもあります。『輝ける最晩年』サブタイトル『老人アパートの扉を開ければ』この二つの言葉のギャップに興味が湧き借本しました。これが雫石とみさんとの出会いです。もう亡くなった後の出会いでしたが、今も私にとって最も尊敬する女性の方一人です。赤貧の中両親を早く亡くし宮城から一人東京へ。日雇い労働しながらも世帯を持ちかわいい二人の娘にも恵まれ、これからという時に空襲で夫子供を亡くしたとみさん。これでもかと追い討ちをかける苦しみ悲しみの連続でした。ですがその人生のラストにこのタイトルの本を書いた彼女の輝けるものとは。資産の全てを投じて始めた『銀の雫文芸賞』老いをテーマにした作品を募集し優秀作品を表彰し冊子にまとめました。その冊子を愛おしく読んでいたとみさんが目に浮かびます。解体寸前の老人アパートの一室で、持ち物といえば行李一つに小さな文机。戦後婦人保護施設に入所し、不正、いじめ、賄賂、理不尽がまかり通る組織で自らを保ってこれたのは、紙切れに書いた短い日記でした。書くことで生きる目標を得た彼女は、65歳で『荒野に叫ぶ声』で文学賞を取り、その後作家として生きます。書くこと、伝えること、残すこと。最晩年に彼女が見つけた「輝けるもの」は権力でも富でもなく「書く」ことで心の自由を得るということでしょうか。物事に真正面に向き合い観察し、自分の考えを組み立てては壊し、壊しては組み立てる。とみさんの書く文章に迫力を感じます。ですが戦争で幼子二人亡くした思いだけは文字に書けませんでした。この8月で戦後80年。とみさんとの出会いを再び思い返しました。